為末大「諦める力」

諦める力?勝てないのは努力が足りないからじゃない

諦める力?勝てないのは努力が足りないからじゃない

「諦める」−とかくマイナスイメージを持たれがちなこの言葉だが、筆者である為末さんは諦めることを以下のように再定義する。

「自分の才能や能力、置かれた状況などを明らかにしてよく理解し、今、この瞬間にある自分の姿を悟る」

為末さん自身が18歳の時に陸上の花形である100メートルの選手から、マイナー競技の400メートルハードルに転向した理由をこう語っている。

勝つことを諦めたくないから、勝てる見込みのない100メートルを諦めて、400メートルハードルという勝てるフィールドに変えた

「勝つことを諦めたくない」
そう僕は「AがやりたいからBを諦めるという選択」をしたに過ぎない。

為末さんにとっては、目的は「勝つこと」であり、100メートルを選ぶか、400メートルハードルを選ぶかはそのための手段にすぎない。彼の主張は、「手段(100メートルという花形種目)を諦める
ことと目的(勝つこと)を諦めることは違う」ということなのだ。


サッカーの内田篤人選手も、「僕は自分が見たことしか信じない」で同じことを言っていた。高校の時にサイドハーフからサイドバックに転向したからこそ、今自分がプロになれた、それこそが運命の別れ道だったと。そして「今、サイドバックというポジションが好きでもなければ、嫌いでもない。僕にはこれしか生きる道はないと思ってやっている」と語っていた。


また自己認識の重要性も、以下のように指摘する。

世の中には、自分の努力次第で手の届く範囲がある。その一方で、どんなに努力しても及ばない、手の届かない範囲がある。努力することで進める方向というのは、自分の能力に見合った方向なのだ。

人生は可能性を減らしていく過程でもある。年齢を重ねるごとに、なれるものやできることが絞り込まれていく。可能性がなくなっていくと聞くと抵抗感を示す人もいるけれど、何かに秀でるには能力の絞り込みが必須で、どんな可能性もあるという状態は、何にも特化できていない状態でもあるのだ。できないことの数が増えるだけ、できることがより深くなる。

人間には変えられないことのほうが多い。だからこそ、変えられないままでも戦えるフィールドを探すことが重要なのだ。

僕は、これが戦略だと思っている。
戦略とは、トレードオフである。つまり、諦めとセットで考えるべきものだ。だめなものはだめ、無理なものは無理。そう認めたうえで、自分の強い部分をどのように生かして勝つかということを見極める。

僕が言いたいのは、あくまでも「手段は諦めていいけれども、目的を諦めてはいけない」ということである。言い換えれば、踏ん張ったら勝てる領域を見つけることである。踏ん張って一番になれる可能性のあるところでしか戦わない。負ける戦いはしない代わりに、一番になる戦いはやめないということだ。

幸福の基準を自分のうちに持たない人は、幸福感も低くなりがちだ。
「測る」とは、勝利条件の設定にほかならない。どうすれば価値なのかが決まって初めて戦略が生まれる。社会や人生における勝利条件として万人に共通なものはない。だから自分や組織で決めるしかない。

そう考えると「どこで勝つか」より「何が勝ちか」をはっきりさせておくことが、自分が本当に勝ちたいフィールドでの勝利につながるのだ。

また、日本人という国民が持ってしまいがちな集団バイアスもいかのように分析する。

日本人は「せっかくここまでやったんだから」という考え(注:経済学でいうところのサンクコスト)に縛られる傾向が強い。

日本は、人の思いを汲んで自分の道を決めていく社会であるように思う

やめること、諦めることを「逃げること」と同義に扱う傾向は、日本の社会においてとくに強いものだと感じる。

為末さんの本は、いろいろな意味で人生、キャリアに悩む私に示唆を与えてくれた。

まず、「何が勝ちか」を自分なりのモノサシで定義すること。
ここで「自分なりのモノサシ」ということがポイント。人から与えられたモノサシや基準に頼っていては、幸福感は低くなりがちだ。

そして、その定義した「勝ち」をどのフィールドであれば実現できそうか、その際に、勝ち目のないフィールドではなく、踏ん張って一番をとれるフィールドを選択するか、そしてそのための努力が娯楽になるような場所はどのフィールドなのか―そこを見極めること。

人生の戦略を考えさせられる本だった。